「 お寺葬.安いお寺葬.寺院再活性化.安い葬儀 」の検索結果
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いい加減な葬儀担当者たちいままで何人もいい加減な葬儀担当者に会ってきました。遺族に対して心がない担当者や宗教儀礼、葬送儀礼に全く関心を持たない担当者など、ともかく怒りを通り越してため息のでる担当者が多くいます。少し前ですが生後5か月の赤ちゃんのご遺体にレジ袋をかぶせて搬送した業者もいました。とにかく、信じがたいような対応をする担当者が非常に多い。 先週も友人のお母様の葬儀をお願いしたいということで葬儀の導師として行って参りました。けれども故人の生年月日が違う、葬儀の掲示板の日付が違う、挙句の果てには司会が宗旨を間違えるなど、とにかく散々な葬儀社でした。 私自身が葬儀社を起業した理由のひとつがこういった、いい加減な葬儀社やいい加減な葬儀担当者たちと一緒にされたくないという強い想いをもったのがきっかけでした。遺族に寄り添わない、宗教儀礼に詳しくない担当者と、私は同じと思われたくないという強い気持ちがありました。正直、全員が全員とは決して言いませんし、単なる個人の感想ですが、葬儀担当者の質は極めてわるくなっているように感じます。 T-sousaiでは、社員に向けて毎月、私が講師で仏教や宗教の勉強会を開いており、葬送儀礼に詳しい担当者、仏教に詳しい担当者を育成しております。いい加減、いい加減な担当者はいなくなってほしい、と切実に願う今日です。ブログ一覧に戻る
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赤ちゃんのお葬式葬儀は長命の方ばかりではありません。若い方の葬儀もありますし、生まれて来られなかった方の葬儀もあります。本当に小さく、大人の手の平でも余るほどの赤ちゃん。何度かその赤ちゃんの葬儀を手伝わせていただきました。 たいてい、若いご夫婦が喪主で悲しみの中いろいろとお打ち合わせをして葬儀の日程を決めます。 ほとんどのご家族はその病院から火葬場に行くのですが、あるご夫婦だけは、「一度赤ちゃんを自宅に連れて帰りたい」と言われました。夏場でもあったので、最新の注意を払いドライアイスを入れ、ご自宅にご安置致しました。赤ちゃん用の小さな棺に入れて。聞けば、不妊治療などをしてやっと授かったお子様。葬儀まで家族でお別れ会をしたいとのことでした。 葬儀の担当者のできることはたかだか知れているかもしれません。けれども、ご遺族に対して寄り添いながら、共にひとつのいのちの弔うことはできます。確かに売上や利益も大切でしょうが、それ以上に私は、葬儀社担当者には、生命を弔うことに大きな意味や価値があると強く感じています。 葬儀は誰やっても同じはありません。心ある葬儀社、心ある担当者が今日も、真夜中でも、ご遺族のもとに駆けつけ、弔いの現場を大切に護り抜いているからこそ心からのお別れが実現できるのです。 小さな生命の弔いは、生命とは何か、葬儀とは何かを改めて考えさせてくれた、忘れられないお葬式の思い出です。ブログ一覧に戻る
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伝統と革新天皇弥栄2月11日は「建国記念の日」で神話によれば神武天皇が橿原の宮において即位された日です。私は伝統というものに少なからず重きをおく者で、なんでもかんでも今の人間が恣意的に、使いやすいように、有名になるように、儲かるように、伝統を変えていく姿勢に、強烈な違和感をもつ者です。 同時に伝統から一切足を踏み出さず固陋、固執したままの伝統至上主義者の人たちにもいささかの距離を置いております。 何でも革新せよというのもよくないし、何でも守ろうという姿勢もよくない。当世のバランス感覚でもって物事と決定していく姿勢が私は大切だと考えております。神武天皇の即位も革新的な考えを持つ方からするとどうでもいいことなのでしょうが、伝統を考える私からすると正直、かなりウキウキで 皇室への敬慕と感謝を一層にする日でもあります。 葬儀や法事も何でも変えていいものではないと考えます。同時に、何でも変えないものでもないと考えます。伝統的な思想を軸にしながら、今の人たちに価値を提供する姿勢が求められているのだと改めて感じます。 ともあれ、本日は建国記念の日 大いに日本の建国をお祝いします!!ありがとう日本!ありがとうご先祖様!ブログ一覧に戻る
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あ、明日オンラインでお寺葬のセミナーしますお寺で葬儀をすることはずいぶん前までは当たり前でした。2世代、3世代の方々からするといまのホールで葬儀をすることの方が少し違和感が出てくるかと思っています。ホールでの葬儀もとてもよく設備もよいのですが、自分の葬儀を考えた場合、お寺がいいなと感じます。 「場の力」というものがお寺にはあり、「祈りの力」というものがお寺にはあります。ホールはたしかにきれいで設備も整っている。けれども、常日頃から祈り込まれた「祈りの力」がない。亡き人を弔うためには、この祈りの力を最大限発揮できるお寺がいいなと、私は思います。 明日、オンラインでお寺葬のセミナーをします。2本ありまして、1回目は足立が主催の、2回目が「お寺の窓口」様主催のセミナーです。両方、違う内容をお話しします。 ご興味ある方は是非ご参加ください。 ■オンライン勉強会 お寺でお葬式をする14時〜16時https://fb.me/e/4bzDT2oWl■お寺の窓口会 【寺院葬儀】今から誰でもできる寺院葬儀・実践篇19時〜20時30分https://fb.me/e/4eh3d5HT2ブログ一覧に戻る
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初めてのご指名葬儀担当者をやっていると1度や2度は「指名」ということがあります。指名は文字通り「遺族から担当者の指名を受ける」というもので、「前、お父さんの時に足立さんにやってもらったから、お母さんの時もお願いします」のような場合がそれです。私が働いてた葬儀社では指名であろうがなんだろうが給料に反映されませんでしたが、この指名を担当者の能力の指標にすえる会社もあります。 初めての指名は私は担当になって半年も経っていない時だったと記憶しています。東京は小平のお寺の会館でやりました。最初はお父さん。3か月か4カ月経って、お母さんを見送りました。ご両親の葬儀を私が執り行うという何か不思議な気持ちでしたが精一杯担当させていただきました。 とても印象深かったのが、病院にお迎えに上がった時のご遺族の顔でした。私の顔を見た瞬間にご遺族の方々がほっとされた顔して、深々とお辞儀をされ「足立さん。今回も宜しくお願いします」と言われました。葬儀担当者は「不幸事」に立ち会う職業であり、なんとなく陰気なものをまとうものだと感じておりましたが、困った遺族や悲嘆に苦しむ方の支えになるのだと改めて感じた瞬間でした。 誰もが不幸事を避けて通りたい。誰もが不幸事を逃れていきたい。けれどもそれはできない。その「困った」や「苦しみ」に寄り添い、共に未来を観るのが葬儀担当者であると強く気付いた瞬間でした。 いまはもう葬儀の現場が離れており、私の社員たちの方が能力は高いでしょう。けれどもこの時の気持ちを忘れずに今日も業務に勤しむ私です。ブログ一覧に戻る
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お寺葬が当たり前の社会に会社を創って何年か経ちますがキャンペーンテーマというかコーポレートメッセージというかそんなものがありませんでした。プロとかに頼むともっとよいものができるのかと思うのですが、こういったものを自分で創らないと気が済まない性質ですので自分で創りました。「お寺葬が当たり前の社会に」というのがそれです。私は僧侶やお寺が葬儀に対してもっと積極的に関われればよいと強く思っています。学生や高野山では正直、仏教と葬儀は無縁なものと教わりましたし、若い頃は疑問を抱いていました。けれども、いろいろ民俗学や諸原典を読むにあたり、どうも「日本仏教」は「葬儀」と不可分であると理解しました。今後のお寺や僧侶はこれまでとは違った「新しい僧侶のスタイル」「新しいお寺のスタイル」が求められると考えます。内向きで、世間とは隔絶された、布教を全くしないというスタイルではなく、外向きな発信、世間への深い理解、味わい深い法話を求められると考えます。その根幹になるのが私は「お寺葬」であると考えます。お寺葬が当たり前の社会になれれば、私たちは、高額な葬式や、過剰な葬式や、利益で考える葬式などから解き放たれ、新しい仏教の地平線が生まれると考えます。今日まで継承されてきた仏教やお寺を次世代につなげるために、今日も頑張ります。ブログ一覧に戻る
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「おめでとう」で見送りたい社員の奥田 久士さんや敬愛する井出 悦郎さんなどから「お葬式の思い出をのこしたほうがいいのでは」と言われまして、ぼつぼつとアップしていければと考えました。拙い思い出がどなたかのために役立つのであればと考えております。お葬式と言えばなにやら湿った悲しい辛いというイメージを持たれがちですが、実際、大きな悲しみを持った遺族や親族はそれほど多くはありません。無論、人の心情に関する部分ですので、当時者でもない私がどうのこうの言えることはないのですが、それでも泣き崩れる方や悲嘆で立っていられないという方は多数派ではないと言えます。湿った悲しい辛いお葬式もありますが、反面、卒業というような別れは辛いけれどもきちんと見送りたいという方が多いです。渋谷でお葬式を行った方はまさしくそういった方でした。亡くなった故人様が男性で103歳というご長寿。病院にお迎えにあがり、ご遺族と会った開口一番、「足立さん、おめでとうで見送りたいんだよね」と言われたことが印象的でした。「お葬式の人数はどれくらいになりそうですか?」と伺い、「家族だけで見送りたいんだよね」と言われました。「分かりました。10名とか20名とかですか?」と伺うと「いや、家族、ひ孫いれて、全部で60名だね」と言われました。私のささやかな担当者の経験で60名の家族葬というのは後にも先にもこの家族だけです。マイクロバス3台でのお見送り。最期のお花入れでは、みな笑顔で「行ってらっしゃい!」という感じで見送りました。本当に「おめでとう」で見送れたお葬式でした。お葬式と言えば何でもかんでも湿った悲しい辛いものではありません。中には「おめでとう」や「行ってらっしゃい」のお葬式もあります。ご遺族の心に寄り添うことが当たり前ですが、大切だなと感じたお葬式の思い出でした。ブログ一覧に戻る
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新しいお寺葬のメニューつくりました日本を眺めてみるとかなり変化のスピードが増しており、月並な言葉ですが日進月歩という印象がとても腑に落ちるこの頃です。個人的にはこのスピード感は嫌いではなく、むしろ変化を楽しみながら自身の使命を忘れず生きる事を旨としております。経済的な合理性ばかりを求めるのは違いますが、変化を懼れず生きる事を大切にしたいです。3年程前に作成しましたお寺葬のアプローチブック(メニュー表)ですが、奥田 久士さんが全面的にリニューアルし、新しいメニューとして作成しました。もう少し修正が必要で、来年くらいにリリースできるかと思っております。個人的には奥田さんに全面的に任せてつくらせましたが、とてもよい出来栄えになっていると感じます。私がつくるともう少しもっさりしたものになったかと思います(笑)こういったメニュー表も3年とか5年とかに1度全面的に見直すことが重要だと感じます。10年前につくった旧いメニュー表でお客様に提供するのは個人的には嫌です。当然、印刷物がまだ余っているようではいけませんが、全て終わらせた上で新しいものをつくる。大量につくることより、小さく生んで大きく育てる事こそがいま求められているのだと感じます。変化を楽しみながら新しいものに挑戦していく姿勢こそがいまは大切なのかと感じます。ブログ一覧に戻る
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栃木県のお寺で終活セミナーを実施してきました先日、栃木県のお寺で終活セミナーを実施してきました。終活というとどうしても葬儀や相続などの社会的なものが中心になりがちです。もしもの時はどうするとか、もしもの時はどこに連絡するとか。けれども、それは葬儀社中心の終活で、お寺で実施する終活セミナーは「死を考える」ことができるのが特長です。いわば「死生観」を伝えることができる。葬儀は死生観なしに実施することは可能ですが、どうもこの死生観を蔑ろにしてきたからこそ、安易に直葬を選んだり、安直に直葬を選択したりするのかなと感じたりします。私たちが大切にしなければならないのは葬儀の手続きもそうですが、死生観、自分の死を考えたり、他者の死を真剣に考える事なのかと感じます。私たちが提案する終活セミナーはかならずご住職に少しお話しをいただきます。ご住職から直接、死に関して話してもらうことで死生観が身体に染み込んでいきます。今回の御住職からは、「仏教と終活」と題し、とても有意義なお話をいただきました。死を考えることで、生を考えることができる。私はそれができるのは、死と密接に関わってきた日本の僧侶だけだと思っております。薬師寺さま!改めてすばらしい機会をありがとうございました!ブログ一覧に戻る