お寺での葬儀、お寺葬の流れで大切な点は、3つあります。
1点目は、事前相談。
2点目は、逝去連絡。
3点目は、御礼詣り。
以上3点です。
今回は事前相談についてお話ししたいと思います。
お寺での葬儀、お寺葬の流れでまず大切なことは、「事前相談」です。
事前相談は葬儀社からすると、事前に葬儀の事を決めることを指しますが、お寺での葬儀、お寺葬からするとニュアンスが違います。この場合の事前相談は、「お寺との事前の相談」という意味になります。
菩提寺がある、ないにかかわらず、お寺で葬儀を行う場合は、そのお寺の本堂や境内にある斎場で葬儀をすることになります。その際に、大切なことは、そのお寺の本堂、または境内にある斎場で葬儀ができるかどうか、ということです。
大きな間違いをされる方がおられるのですが、「お寺だから葬儀はできるだろう」という考えは誤りです。お寺であっても葬儀を行えない、厳密に言えば、葬儀を行うことができないお寺も多数あります。
例えば、天部の神様をお祀りしているお寺はなかなか難しいでしょう。天部の神様、聖天様や毘沙門天様は死を非常に嫌います。嫌がっていることを無理やりすることは神様にとって大きな失礼にあたります。神様が喜ばれない中、葬儀をあげることは、亡くなった方にとってもよくありません。神仏が見守り、安らかな中で葬儀を行うことが、神様にとっても、亡くなった方にとっても大切であると考えます。
また檀信徒・門徒や会員などしか、お寺での葬儀ができないこともあります。
「一般の方への葬儀はしておりません」とか、「一般の方の葬儀はご遠慮しております」、など、あらかじめWEBなどで調べたり、電話でお問合せをしましょう。
お寺は確かに公益法人で公に開かれた場所ではありますが、檀信徒・門徒の方、会員の方のために役務を提供しており、それゆえ、一般の方の葬儀ができない場所の方が多いでしょう。多くのお寺は観光のお寺などとは違いますので、きちんと事前にお伺いすることが求められます。
当然、「一般の方の葬儀も問題ございません」というお寺もあるでしょう。地域の方々に使ってほしいというお寺は少なくありません。けれども、何の相談もなく、何の挨拶もなく、突然、「葬儀をお願いします」と言って、受けてくれることはないでしょう。
いずれにしても必ず電話やお問合せをして、お寺葬儀があげられるのかを確認し、もっと可能なのであれば、事前にご挨拶にうかがうことが重要です。
お寺と事前に相談する上で、やってはいけないことは、「自分の固定観念でお寺に行く」ことです。
自分の固定観念とは、お寺はこうあるべきだ、とか僧侶はこうあるべきだ、という自分の凝り固まった偏見です。自分の独りよがりの偏った見方です。
こういった独りよがりの見方をしてお寺にいくことは決してやめましょう。
お寺も、僧侶も、ひとりの人間です。ましてや金銭的なもの以上に、関係性を重んじる人々です。初対面であるにも関わらず「べき論」をぶつことほど、不毛で失礼なことはありません。
よく、「坊主は困った人を助けるのが仕事だ」とか「寺は葬儀をするための施設だからどんな人でも受け入れろ」ということという方もおられます。けれども、これは大きな間違いです。
逆の立場で考えてみるとわかると思います。
私は旅行が好きで経営者仲間とよくいろいろなところに行くのですが、その時にかならず現地でオリエンテーションと勉強会を実施します。毎回、20名くらいのでその市区町村が運営する施設でオリエンテーションと勉強会を行うのですが、必ず事前に電話して、会場の空き状況や金額などをお電話で相談して、合意の上で決まります。突然、施設に行って「貸してくれ」といっても借りられません。「税金で食べているのだから施設を貸せ」というのは横暴であり、相手にとても失礼です。
「坊主は困った人を助けるのが仕事だ」、「寺は葬儀をするための施設だからどんな人でも受け入れろ」という方は、これと全く同じです。突然来て、葬儀をしろとはどういった料簡なのか理解に苦しみます。
自分がされて嫌なことを、平気で人にやる。お寺は、僧侶は、別物だというのは、独りよがりの偏見としか言いようがありません。
僧侶やお寺は、一般的な倫理観や伝統的な考えを重んじる職業であり場所です。関係性を大切にし、敬虔な気持ちでお尋ねすることが求められるでしょう。
私たちは日本でただひとつの、お寺と葬儀社が共にひとりの命を弔う「お寺葬」の専門葬儀社です。
儀式の執行者としての僧侶。
食事などを手配する葬儀社。
このふたつが弔うことを認め合い、新しい価値を生み出すことが私たちの使命です。
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文責:足立信行