目黒の浄土宗のお寺で大人寺子屋と題し、
セミナーを実施致しました。
「私、足立が…」ではなく、「副社長の奥田が」です!
最近、社員の方々の成長が著しく、とても頼もしく思います。
社長は飾りですね(笑)
大人寺子屋は地域の方含めお寺の周辺で生活を営む方向けにする寺子屋で、
6月25日は足立が葛飾のお寺で仏教を語ります。
今回はお寺葬やお寺での葬儀、お葬式に関して奥田が話しました。
いま儀式や昔のしきたりが継承されず伝統的な思想や儀式がなくなろうとしております。
当然、陋習、よくない伝統はなくなってもよいと思っておりますが、
のこすべきことはのこすことが現代を生きる私たちの務めであると感じます。
たかがしきたり、たかが仏事と軽い思いで見ていると重要なことと一緒になくしてしまうことが間々あります。
明治時代末期に行われた「神社合祀令」を想起します。
多数の神社の祭神を一つの神社に合祀、あるいは、一つの神社の摂末社にまとめて遷座させ、
その他の神社を廃しするとんでもない国の政策です。
これにより、神社の数は激減し、3年で5万社の神社がなくなったとか。
そんなおり、各地方、村落で得体の知れない鉄砲水が同時多発的に起こります。
原因は神社や鎮守の杜をなくしたことによる氾濫。
簡潔に言えば、神社を減らしたことによる災害でした。
当時の優れた民俗学者であり粘菌学者でもあった
南方熊楠らの反対運動、言説により、この政策は廃止。今日に至ります。
当時は神社をひとつにすることと鉄砲水に関連があるとはだれも思わなかった。
けれども、それは深いところでつながっており、神社の数を減らすことが人災につながった例です。
伝統やしきたりも思いの外、深いところでつながっているものが多数あります。
当然、なくなっていくべきものもあり、改めるべきは改めるべきです。
失われつつある「絶学」を次世代のために「継ぐ」ことも重要なのかと思う今日、この頃です。