おぼうさんの役割

おぼうさんの役割


25歳の時、全国を野宿をしながら、托鉢したりして、
半年ほど聖地を巡る旅をしておりました。
モラトリアムな時間を過ごしてとても学びになりました。
モラトリアムな時間は私とって必要でした。
それはおぼうさんの役割とは何かをじっくり考える時間につながったからです。

 

いまはおぼうさんと言えば、住職や副住職などお寺に居を構え、
葬儀や法事を専らにすることが当然と思っておられる方が多い。
事実そうですし、私も自己紹介をする際に
初対面の方から「お寺はどこですか?」と必ず聞かれます(笑)
ひとつひとつ説明するのも億劫なので「私のお寺は心の中です」とか適当に答えています(笑)

 

25歳の頃の私は、おぼうさんの役割とはなにかをずっと考え、答えを求めていました。
その答えは、弘法大師の著作の中にありました。
弘法大師空海の著作の中に『御請来目録(ごしょうらいもくろく)』という著作がそれです。
唐から帰朝した際に、朝廷にお送りした目録。
その中に「法は行蔵なし 人に随って去来す」という言葉があります。
端的に言えば「法を説くことがおぼうさんの役割だ」という意味です。

 

私はこの言葉でハッとしました。葬儀も法事も彼岸もお盆も、
全て法を説くための仕組みのひとつであり、法を説くことがおぼうさんの役割なのだと。
お寺があるとか住職であるとか袈裟の色が高いとか。
それもとても重要ですが、私は法を説くということに大きな人生のウエイトを置きたいと強く決意した瞬間でした。 

 

来週の26日に『御請来目録』の勉強会をやります。
私自身の熱い想いがこぼれてしまうのではないかといまからヒリヒリしております(笑)
法を説くことが主眼ですので、先述したお寺は私の心にあります、という(適当な)回答も、
あながち間違いではないのかもしれません(笑)

 

改めた仏法に感謝し、法を説くことの大切さをかみしめます。

 

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