情報というものはとても大切であると感じます。何かを判断する際の材料になったり、何かを発言する時の基盤になったり、およそ情報というものを軽視すると誤った方向に行ってしまうこともあります。同時に、情報に依存することも極めて危険であると感じます。「テレビで言ってたから」とか「SNSで誰かが言ってたから」など。その媒体や発言者に自分の考えを依存してしまい、自らは取り立てて調べることをしない。
私自身は、葬儀のアドバイスや仏教やお寺への考えを求められることがある際、可能な限り、自らの知見や自らの判断で述懐するようにしております。当然、情報や書籍は調べるものの、あくまで参考として捉え、最終的には自分の判断で発言する、自分の発言に可能な限り責任をもとうと考えております。
葬儀やお寺、仏教の情報を何かあれば目に触れるようにしております。そのほとんどが良い記事で、実際、かなり取材されたなと感じるものが多いのですが、中には、「そんなこと初めて聞いた」とか「そんなこと本当にあるのかな…」とモヤモヤすることもあります。情報に偏りがあったり、取材が不足していたり、剽窃が過度であったり、シェアされたり拡散されることと目的としたものもあります。
特に葬儀やお寺、仏教はブラックボックスの業界であり、誤った情報が出てきたとしてもファクトチェックがなかなかなされない業界であると感じます。火葬場の実態や葬儀社の実状、お寺の経済的な裏側など、出回ることが少ないのと、醜聞を前に事実が消されてしまうことも多々ある。
18歳で出家して、いろいろな記事や媒体に目を通してきましたが、葬儀やお寺、仏教界の情報には一定程度、間引きして見る、読むことが重要と思うようになりました。あまりにも葬儀現場と違う情報が独り歩きしていたり、あまりにもお寺の現実と異なった情報が世間に流布されていたり。
モヤモヤしながらも、良い記事に出会うことが最近の私の喜びでもあります。