仏教が説く根本的な苦しみの中に愛別離苦(あいべつりく)があります。
「愛しい人を別離(べつり・わかれ)をする苦しみ」と言う苦しみですが、
どんな人であっても出会いがあれば別れがある。
もっと一緒にいたい、もっと一緒に学びたい、そう思っていても分かれなければならない苦しみ。
子と親、親と子、兄弟、姉妹、友人、恋人など。
人間関係における深い苦しみのひとつです。
葬儀や法事に携わっているので、愛しい人を死別によって見送る人は何名も見てきました。
愛する人を供養する仏式の儀式に法事があります。
真言宗であれば13人の仏菩薩さまが33回忌の弔い上げまで導いてくださる、というものなのですが、
とてもよくできたシステムだと改めて感心させられます。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と、
愛する人を定期的に思い出すシステムが法事と考えます。
人間は忘れっぽい。愛する人の死もいつしか風化してしまう。痛ましい事件も凄惨な事故も、
いつしか風化してまた同じ過ちを犯すことなど間々あります。
愛しい人への備忘システムがこの法事であると感じています。
33回忌が一つの区切りですが、33年後もその人のために集い、
誰かが供養することは何と深い愛情なのか。
その人が亡くなった後も、33年後に集まることが本当の愛だと、暗に指示しているような気がします。
私の両親はまだ健在ですが、亡くなったら全ての法事をやり、
折に触れて両親を思い出したい。
両親のお陰で今の自分があるのだと思い出したいし、
感謝したい(そういえば、昨日は、私の父親の誕生日でしたので、電話で「ハッピーバースデー」を歌ったらすごく嫌そうな声でした(笑))
愛しい人とわかれるのは苦しい。けれども、思い出し、忘れずにいることで、何か変わるのかなと思います。