お寺葬のT-sousai
お寺で葬儀を行うお寺葬の企画、導入、施行から、都内最安値を目指した葬儀、お一人からのお葬式を全て自社で施行致します。24時間365日対応です。見送るのに必要なのは想いです。その想いを実現できる、安心で、安全で、安寧を祈る葬儀のプロがお手伝い致します。
日本仏教や宗教を考える上で、
信仰や信心のみがクローズアップされるケースが多くあります。
信仰は悪だとか信者ビジネスは儲かるなど耳目にすることが間々あります。
個人的には日本仏教や宗教を考える際に、6つの側面があることを説明します。
思想・祭祀・修行・集団・伝記・信仰、という6つの側面です。
詳細は省きますが、それぞれの側面は重なっている部分があるものの、
基本的にはセパレートされていると感じています。
祭祀は先祖の祀り方や葬儀に関わる部分。
修行はその宗派、宗教がもたらす非日常的な体験の部分。
例えば、家は真言宗だけれども(祭祀)、
近くの曹洞宗のお寺で毎週坐禅してます(修行)というケースは多々あります。
これなど祭祀と修行がセパレート(棲み分け)されている良いケースではないでしょうか。
そして、信仰と祭祀が分かれているケースもあります。
自分はキリスト教を信仰しているが、
両親の墓が臨済宗なので、仏式で葬儀をする、など。
当然、この両者が重なっていることが望ましいのですが、
一致しなくても葬儀はあげられます。
日本人らしいと言えばそれまでなのですが、
葬儀という機能を残しながらも、信仰も捨てない。
もしくは、セパレートすることで逆に柔軟性を保ちながら祈りができる。機
能的であり、合理的な判断。
信仰がなくても葬儀をあげられることは寛容性をもつ日本人のあらわれではないかと思う、
今日この頃です。