お寺葬という名前について

「お寺葬」という名前は私たちが考えました

 

お寺葬は「寺院と葬儀社が共働し故人様を弔う葬儀」です。
これまで葬儀社が使っていた、寺院葬や本堂葬、寺葬と呼ばれる葬儀と違い、明確な定義をもってお寺葬は運営されております。

 

 

お寺葬と言う言葉自体は、実はこれまでありませんでした。2016年頃から使われだした言葉で、そもそもは(一社)お寺の未来様と私がセミナーを行い、そこで使われた言葉が「お寺葬」でした。お寺葬という言葉は造語ではありますが、一定の認知をもとに登場しており、この登場には弊社が少なからず関わっていることはささやかな誇りです。それゆえ、私たちは、日本でただ一つのお寺葬を専門にする葬儀社として現在も運営ができているのだと思います。

 

2016年当時に使われていたお寺葬は、単なる「本堂で葬儀をする」という意味あいだったように思います。私自身もそのように認識しており、「お寺葬=本堂葬」というイメージでした。けれども、いろいろなお寺とお寺葬を運営するようになり、いくつかお寺葬の骨格が出来上がってきました。端的にはそれが「儀式」「金額」「依頼」「運営」なのですが、ここではなぜ本堂葬、寺院葬、寺葬と違うのか、経緯と流れをお伝えできればと思っております。

 

お寺葬はこうして出来上がった

 

 

現在のお寺葬は「寺院の葬儀社が共働して故人様を弔う」と定義しております。それ以前は本堂で葬儀をすること、または、葬儀社がお寺に入り葬儀を行うことと単純に捉えていました。けれども、いろいろなお寺でお寺葬を導入していくにあたり、本堂で葬儀をすること、お寺に葬儀社が入ることをお寺葬ということに無理が生じてきました。

 

まず大きなものとしては「本堂で葬儀を行えないお寺」があるということです。
本堂で葬儀を行えないお寺とは、いくつか理由があります。一番多いのは、「天部を祀っているお寺」ということです。台密(天台宗)・東密(真言宗)に関わらず、本堂で天部の神様をお祀りしているところは基本的に死はタブーです。そういったお寺の僧侶は、葬儀の際の衣と祈願をする際の衣は違う衣を使用するのが自然で、そういったお寺では本堂で葬儀をあげることはできません。

 

次に、「葬儀社任せにするお寺」があるということです。
葬儀社任せにするお寺とは、葬儀や弔いや法事に積極的ではなく、檀信徒や門徒にもあまり気持ちが向かないお寺の事です。堂宇を維持し本堂を厳かにしていくためには、住職ご家族の豊かさも含めどうしても金銭が必要になります。日本仏教は発生当時のインドの仏教やや南方上座部の仏教とは違い、伽藍の維持と発展が欠かせませんので、どうしても経営的な視点が必要になります。檀信徒や門徒の関係向上のためにも金銭的なものは不可欠です。これは日本仏教の宿命です。けれども、それを誰かに任せたり、自分は関係ないとお寺が思うと、葬儀社が葬儀をするためだけのお寺になり、弔いの価値が大きく損なわれてしまいます。

 

つまり、本堂が使えないお寺や、お寺が葬儀に消極的であるなど、「お寺葬」と呼ぶための工夫が必要であると考え、最終的にいまの「寺院と葬儀社が共働し故人様を弔う」葬儀をお寺葬と定義したのです。

お寺葬と寺院葬の違い

 

 

寺院葬は文字通り、寺院(お寺)で葬儀を行うことです。葬儀社が主体の場合もあれば、お寺が主体という場合もあります。本堂で行う場合もあれば、お寺の境内の斎場で行う場合もあります。このように寺院葬は、どちらかに主導権があり、お寺と葬儀社が共働して葬儀を行うことができない葬儀のことです。
寺院葬は、どちらか一方が葬儀の主導権を握っている点で、お寺葬とは明確に違います。

 

まず「儀式」においてです。お寺葬は「寺院と葬儀社が共働して故人様を弔う」葬儀ですので、私たち葬儀社もある程度、葬儀のことについて理解し、より素晴らしい仏式葬儀を実現することを目的としています。具体的には「葬儀の次第を解説入りで作成し儀式のときに配布する」。「戒名や法名の作成された意味や意図を映像にして当日流す」。「御出棺の際に境内に梵鐘があればそれを打ち厳かな葬儀を演出する」などです。これがどちらかに主導権がある寺院葬ですと実現は難しい。お互いが故人様を想い、考えることでお寺葬は成り立つのです。

 

当然、「費用」「依頼」「運営」に関しても同じことが言えます。寺院や葬儀社どちらかに主導権がある以上、費用は客観性がないため「非永続的な費用」か「暴利的な費用」、どちらかになりがちですし、依頼も不通だった場合の次の連絡先がないと不安を抱かせてしまいます。運営も独りよがりになりがちで、安かろう悪かろうか、豪華すぎる葬儀か、どちらかに陥ってしまいます。
お寺葬は、どちらかに主導権のある寺院葬とは明確に違い、儀式、費用、依頼、運営など互いに質の高い葬儀を行うことに力を注ぐことが可能になるのです。

 

お寺葬と本堂葬・寺葬の違い

 

 

本堂葬は、本堂で行うお葬式のことです。お寺の本堂に祭壇を設置したり納棺をしたりするお葬式のことです。主に葬儀社が主導して葬儀を行うことが多いのがこの本堂葬です。本堂葬も寺院葬と同じで、どちらかに主導権があり、お寺と葬儀社が共働して葬儀を行うことができない葬儀です。また、寺葬(てらそう、またはじそう)というものも意味合いとしては本堂葬に近い葬儀のことを指します。

 

本堂葬は主導権がどちらかにある時点で寺院葬に近いのですが、どちらかと言えば、葬儀社に主導権がある場合が多いでしょう。私も大手互助会の葬儀社で担当者として働いていた時は、よく本堂葬と言っていました。寺葬という言葉はあまり使いませんでした。

 

本堂葬は、言ってしまえば、葬儀社への単なる「場所貸し」です。本堂を貸して、葬儀を行うだけの葬儀です。場所貸し自体は悪いことではありませんし、本堂で葬儀をすることで何か大きな意味が込められていることも事実です。けれども、やはり場所貸しは場所貸しで、それ以上でもなければ、それ以下でもありません。「素晴らしい仏式葬儀」を提供できるかどうかは疑問です。やはりそこに本堂でやるからには工夫が必要であると私は思います。

 

よくお寺に対して葬儀社が営業に行きます。とかく「檀信徒や門徒の方を紹介してほしい」とか「お困りでしたら紹介してほしい」など。その気持ちは分からないでもありません。営業は大切ですし、お寺から1件でもほしいのは頷けます。けれどもそれ以前に、どれだけ仏式葬儀のことを知っているのか、どれだけ仏教のことを知っているのか、どれだけお寺に貢献しているのか、まず自分を振り返った方がよいでしょう。仏式葬儀も知らず、仏教の興味もなく、お寺の行事に参加したこともない。そのような葬儀社が、得意げに本堂で葬儀をやることは、仏教にとって、故人様にとって、ご本尊様にとって、果たして良いことなのか私は分かりません。

 

お寺葬は、葬儀社が場所貸しで行う本堂葬・寺葬とは違い、ご本尊様に恥ずかしくない葬儀を心がけ、素晴らしい仏式葬儀を行うことができます。

 

お寺葬の意義

私たちは日本でただひとつの、お寺と葬儀社が共にひとりの命を弔う「お寺葬」の専門葬儀社です。
儀式の執行者としての僧侶。
食事などを手配する葬儀社。
このふたつが弔うことを認め合い、新しい価値を生み出すことが私たちの使命です。

 

お寺葬に関してはこちらから
>>>お寺葬についてみる

 

文責:足立信行